ルーズな僕たちはいつでもエレクトリックにクールさ

クールに見えて、熱い男――それが僕のS君に対するイメージだった。

抑制のきいた情熱とでも言えばいいのだろうか。言動や振る舞いの端々から、彼の思いは見え隠れするものの、その全貌は把握できない。

よく言えば、格好いい人。悪く言えば、よくわからない人。

おそらく、僕以外のアウトロー参加者も同じようなイメージを持っていたのではないのだろうか? いや、持っていると言い直した方がいいかもしれない。

では、実際の彼はどのような人物なのか?

何を思い、何を考えながら、これまでの人生を送ってきたのか?

この記事では、そんなS君の核心に近づいていきたいと思う。


始めに、S君と僕の接点から紹介していこう。

前日の記事にもあるように、S君は関西支部の発起人だ。

そして、僕もその一員である。

彼曰く、「関西だけではなく、他の地方にも支部ができる突破口にならないか?」ということで、関西支部を設立したらしい。

僕などは、「単純に関西住まいの人間が居るんだから、地元の近くで集まった方が自然だ」みたいなことを、おぼろげに考えていただけだったのだが、S君には遠く深い思慮がある様子。

現在は、アウトローには福岡に縁のある人々が多いから、そこで何かできないかと考えているようだ。

このように、S君は積極的に企画・提案をどんどん行ってくれているのだが、こうした振る舞いはあまりしてこなかったらしい。

なんでも、「中に入るのが苦手だったんだ」とか。

・こうもりのスタンス

中高生の時、S君は親御さんの元を離れて、寮での生活を送っていたらしい。

しかし、この時の生活はS君にとって、刺激的過ぎたようだ。

年齢のわりに老成した中学生だったS君に対し、周りは分別がつかない中学生――彼らは夜に騒ぎまわりS君に多大なストレスを与え、盗難事件の数々には人間不信に陥りかけた、という。

また、先生の一人でもあった寮監はこちらの気持ちなんてお構いなし。 それまでは大人に恵まれてきたと思っていたS君だったが、この時の寮監は人生で初めて出くわしたハズレだったと語る。

この時に、S君は「人は信じられないもの」という認識を持ってしまった。その結果、彼は人と一定の距離を保つことが重要だと考えるようになったのだ。

この距離感のことを、S君は「こうもりのスタンス」と語る。

どこかのグループにどっぷりと浸かるわけでもなく、狭く浅く、深く関わらない。派閥争いがあれば、その外側に居て、どちらの派閥にもコミットできるようにする。

積極的に誰かと関わるのでもなければ、敵を作るわけでもない。

こうした態度のことを自嘲をこめて、「こうもりのスタンス」だとS君は称していた。

なんでもイソップ童話の「卑怯なこうもり」から採った比喩なのだ、とか。

「卑怯なこうもり」を大まかに説明すると、こういう話だ。

昔々、獣の一族と鳥の一族が戦争をしていた。その様子を見ていたずる賢いこうもりは、獣の一族が有利になると獣たちの前に姿を現し、「私が合うから獣の仲間です。」と言った。鳥の一族が有利になると鳥たちの前に姿を現し、「羽があるから私は鳥の仲間です。」と言った。その後鳥と獣が和解し、戦争が終わった。しかし、幾度もの寝返りをしたコウモリは双方に味方してたのがバレて結局、仲間はずれにされてしまい、やがて暗い洞窟の中へ身をひそめるようになった。(wikipediaより)

この「卑怯なこうもり」のように、あっちへフラフラ、こっちにフラフラするからこそ、「こうもりのスタンス」なのだ、と言う。

とはいえ、このS君のスタンス。上述では寮生活がS君の「人は信じられない」という認識を作り上げたと書いたが、その以前から萌芽はあったらしい。

S君は「中に入る」のが怖かった、と語る。

いや、正確には過去形ではなく、現在進行形で「中に入る」ことが怖いらしい。

「中に入る」と、責任や義務、失敗があるかもしれない。それがプレッシャーとなり、どうしても「中に入る」ことに躊躇いを感じるのだ、と言う。

また、なによりも怖いのは「摩擦」だと語る。

摩擦を悪いものだと考えているわけではなかったが、無理をしてまで波風を立てたくない、とも思ってしまうそうだ。

これを最も強く意識しはじめたのが、中学の寮生活以降であり、口論などの衝突があれば、真っ先に折れるようになったり、相手に理があると感じたならば、自分の方を疑ってしまうようになったんだ、とか。

しかし、一方で「誰とでも同じように関わることで、自分の被害を避けたいと考えるのは最低かも」と、S君は語る。

傷つけたくないし、傷つきたくないから、人を遠ざける。

それは問題のある態度なのかもしれない。実は自分が傷つきたくないだけ、なのではないか?

だからいって、距離をいきなり詰めるのも……と、S君は考え込む様子。

「本音で話し合うのは好きじゃない。建前で通じ合うのは楽で好き」

人をあだ名で呼ぶことは馴れ馴れしいくて良くない、と思うのだとか。

そこら辺の心境はS君にとって、複雑なようだ。

・「COOL」という行動原理

大学入学以降も、サークルの幹部にまでもなったが、プライベートに関しては、積極的に「中に入る」ことはしなかったと語るS君。

「自分から遠ざけていた」と遠い目をしながら語っていた。

彼の中にはもう一つ、「群れるのは格好悪い」という感覚があったようだ。

どうも、ここら辺はトラウマという要素もあるらしい。

S君は三歳から五歳までワシントンD.Cで暮らしていた帰国子女だったようで、日本に帰ってくれば、変な奴と見られることも少なくなかったらしい。

また、帰国子女であることが影響しているのかどうかはわからないが、S君は口下手だったのだとか。そのため、群れの中で調子に乗ったお調子ものに口八丁でやりこめられることも多々あったらしい。

こうした経験が、S君に「群れるのは格好悪い」という感覚を芽生えさせた。

しかし、この感覚は経験に基づいた表層的なものだけではなく、もっと根源的な直観に裏付けられているるようだ。

――すなわち、「COOLか、どうか」だと、S君は言う。

この「COOL」は日本語のクールではなく、アルファベットの「COOL」であるらしい。

実は英語の「COOL」は格好いいという意味だけではなく、もっと色々な意味があり、直感的に良いと思うものに対して使うのだとか。

どう考えても推奨すべきではないような事柄でも、「やっちゃえよ! COOLじゃん!」と思う時がある。

その時に使う「COOL」が意味的には近いらしい。

とはいえ、こうした感覚は日本のでは説明しきれないものがあるようだ。だからこそ、S君は理論武装でもしているかのように、自分の判断基準を語れる人をとても「COOL」だと思うらしい。

また、一方では理論や判断とは関係なしに、無意識的に一貫した行動をとれる人も「COOL」だと思うんだとか。

こうした、両極端を「COOL」だと思う自身を、S君は「半端者」だと説明する。

他人よりも興味あることが少なく、知識や探究心に欠ける自分は半端なんだ、とか。

これはS君の面倒臭がりな性質に根ざしているらしい。

人よりも感覚というアンテナを張ることが少なく、結果として、徹底して何かをすることもなく、ポリシーもない。だからこそ、博学な人には憧れを抱く、らしい。

このように、一見、自戒しているようにもみえるS君だが、実は半端者な自分が好きだと言う。

半端であり、曖昧であるからこそ、価値があるのだ、とか。

それに、半端者だからこそ、楽に人生を生きていけるのだ、とか。

自分は面倒臭がり屋だというだけあって、実にそれらしい発言だ。

「だけど、変わらなければいけない」

S君は語る。

上述の「群れることが格好悪い」という感覚に関しても、心境の変化があったようだ。

「群れることと、中に入ることは違う。この混同は「COOL」じゃない」

集団になること――すなわち、群れることは「COOL」じゃないと思っていたS君だが、このままで仕事ができない、と認識し始めた、と言う。

だからこそ、「変わる必要がある」と思っているようだ。

そして、S君にとってみれば、アウトロー採用は変われる場として、適格なのかもしれない、と語る。

「若新さんを始め、アウトローには自然体が推奨されるから、ありのままでいられる。だからこそ、変わらないという選択肢も取れる。その結果、変わることに対して、フラットでいられる」のだと言う。

それでは、S君のこの心境の変化――つまり、「自分は変わらなければならない」という認識はどこから生まれたのか?

そこに焦点を向けていこう。


「自分は就活らしい就活はしなかった」

S君は思い返すように語る。直前まで、就活イベントに居ただけに、彼の言葉は生々しい。(前日の記事参照)

「モヤモヤとした違和感があって、疑いを持たないままに就職活動をしたくはなかった。やることになってるから、やるのではなく、必要に迫られるからこそ、やる」

それが大事だと思っていた、とS君は続ける。

「自発的に動いているように見えて、受動的なんだよ」

そういうS君は実に冷ややかだ。

この態度は就職活動に対しても同様で、適当に就職するのではなく、疑義を持った上でそれを行いたかったのだ、と彼は言う。

とはいえ、単純に就職活動が嫌だったからやらなかった、という側面もあったらしい。面倒臭がり屋だと、自身を語るS君らしいエピソードと言えば、そうだ。

しかし、就活生だった周囲を見て、いろいろと思うところがあったのも事実らしい。

多くの人は夢のある就職はせず、入れる所に入ったのだ、とか。

ただ、「たかだか、就職でなぜ悩む?」という気持ちもあったらしく、就職活動について、深くは考えなかったと、S君は言う。

真面目に考えると、すごく悩むとわかっていたからかもしれない」

S君の、この言葉は特に印象的だった。

・「中に入る」こと

人よりも興味のあることが少ない。アンテナも人より張れていない。

自分は面倒臭がり屋の半端物だと語るS君。

しかし、そんな彼が唯一、徹底してやれることが音楽だったらしい。

S君は大学卒業後、音楽の専門学校に入りなおしている。

「きっかけはNHKのユーミンの特番を見たことだった」と、彼は語る。

それはユーミンの1stアルバムを紐解いていく、というものだったそうだ。

「こんな仕事がしたいと思った」と、彼の直感が反応したらしい。

そして、S君は専門学校を卒業して、テレビ関連の音楽スタジオに就職した。専門学校の先生に斡旋されて、その知り合いのスタジオだったんだ、とか。やっている仕事は映像に音楽を合わせる仕事だったようだ。

しかし、この業界は甘くなかった、と彼は語る。

「こっちの世界に入ってこい」

それが職場の人たちによく言われた言葉だったらしい。S君にとって、そこの会社はとても取っつきづらい世界だったようだ。

特殊な業界なせいか、変な人も多かったらしい。特に体育会系の気質をもった人たちや、直感的に合わないと感じる人も多かったのだ、とか。

ハマる人にはハマるのだろう。本当に好きな人は耐えられるのだろう。

でも、S君はそれができなかった。

少なくとも、小さなスタジオという世界では、S君の持つ「こうもりのスタンス」は受身であるだけだ、と見なされたようだ。

とはいえ、単純に合わなかった以外にも辞めた理由はあるらしい。

一つは、スタジオは即戦力を求めていたのに対し、S君は単純に力不足だったようだ。

S君は雑用などから勉強していくことを望んでいたものの、スタジオ側は違った要望を持っていた。しかし、S君はそれに気づくことなく、試用期間を過ごしてしまったらしい。

もう一つは、S君が思い描いていた世界と実際の音楽業界は異なっていた、という事情も強いようだ。

「芸術的というよりはビジネス的な世界だった」

S君は自嘲気味に語っていた。

こうした状況で、当初のような情熱を持ち続けることができなくなっていたS君だったが、それでもやり続けたいという意思はあった、という。

「本当にお前はここで働きたいのか?」と問われる度に、

「はい。やりたいです」と答えていたらしい。

しかし、スタジオ側も「これ以上の対応はできない。双方の利益のためにも別れた方がいい」と言われ続け、S君はとうとう辞めてしまったようだ。

「こっちの世界に入ってこい」

「正社員という立場に固執しているようにしか見えない。本当にここで働きたいのか?」

「憧れていた世界を外側から見るだけで満足してるんじゃないの?」

以上のようなことを言われ続けたらしい。

そのうち、S君は今の仕事は本当に自分がやりたいことなのかどうかがわからなくなったという。将来、自分が働き続けてどうなるかが見えなかったという

だから、S君は辞職した。


「実はアウトロー採用の参加者と交わるのは、ちょっとした冒険だった」

S君はそう語る。

アウトローの飲み会に参加したこと自体、彼にとっては冒険だったらしい。

本当は飲み会自体、あまり参加しないようにしていたようだ。

しかし、参加してみれば、離れ小島のような席に座っているS君にも寄ってきてくれる人が居る。しかも、哀れみなどの感情もなく、フラットにはなしかけてくれる。

そうしたアウトローという空間はS君に素でいてもいいのかな、という感覚を抱かせたのだ、という。(もしかしたら、この感覚こそが若新さんの言う「柔らかいカオス」の本質なのかもしれない)

「こっちの世界に入ってこい」

やはり、この言葉はS君にとって、本質を衝かれた言葉だったようだ。

だからこそ、S君は「その世界に入ること」が本当に自分にできることなのか不安だ、と語る。

そのため、彼は就職してからが本番なのだと考えているらしい。

「一定の距離感を保つことはやっぱり大事だと思う。でも、取り過ぎても上手くいかない。だから、突き放すのでもなく、詰めすぎるのでもない適切な人との距離感を取れるようになりたい」

S君はこのように言う。

人とは近づくべきなのか。人とは離れるべきなのか。

こうした背反する価値観が彼の中にはあるという。

そして、仕事を通じてならば、この価値観に折り合いがつけられるのではないか?

彼はそのような考えを持って、「中に入り」始めたばかりだ。

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